忍者ブログ
積極的な不妊治療を辞めた後の心の整理。
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

負けず嫌いな子供だった。

運動が得意な子供ではなかったので、運動会は嫌いだった。
特に徒競走は苦痛で一番遅いグループの中で、さらに一番遅かった。
悔しくて涙ぐんだこともたくさんある。
じゃあ、早く走れるようになるために何をしたかというと、何もしなかった。
私は負けず嫌いではあったけれど、誰よりも早く走りたいとか一番になりたいとか
そう言う風に思ったことはなかった。
徒競走でビリから2番目になれれば、それでよかった。
早く走るための努力を、私以外のみんながやっているようには見えなかったから
「何の努力もしていないのはみんな同じ、それなのになぜ私は一番遅いの?」
という悔しさを感じて涙ぐんでいたのだった。
要するに、私は「一番最後になりたくないだけ」なのだった。
一人だけ取り残されてしまったり、一人だけ仲間外れにされたくない。

そういう子供だったのだ。

今だったら、「何を言っているのだ」と自分を張り倒す勢いである。
他力本願が過ぎるし、みんな何かしら運動とかしてたんだろうと想像がつく。
しかしながら、そういう面はいまだに自分の心に色濃く残っているという実感はある。
三つ子の魂なんとやら…だ。

先日、前の職場の友人から電話がかかってきた。

同い年の彼女は私ととても仲良くしてくれて、一緒に呑みに行ったりもたくさんした。
私が仕事を辞めた後も交流は続いている。
その彼女が妊娠したというのだった。
彼女は結婚当初はあまり子供は欲しいとは思わなかったが、
周囲の影響などもあり「うちもがんばってみよう」という話を聞いたこともある。
そして、彼女もすぐには結果が出なかったというのもあり
自分の弟夫婦が自分たちよりも先に妊娠出産ということになった時は
「自分の親の初孫は自分が産みたい気持ちがあった」と涙していたこともある。
私が不妊治療をしていたことも彼女には話してあった。
どうも少し難しい妊娠らしく、ゆくゆくは子宮口を縛る手術を受けるかもしれないそうだ。
職場の上司には伝えてあったが、他の人にこれから話をすることになるそうなので
変な形で私に伝わらないように配慮して、わざわざ私に電話をくれたのだった。

なんだか、大変な時にそんな配慮までしてくれて、逆に涙が出てしまった。
もちろん、電話口では泣かないが…。
むしろ電話口ではすぐに心から「おめでとう!!!!!」と反射的に口に出せたので
それが自分の本心だと実感できて本当によかった、とも思う。
無事に出産まで行きますように!と心から願うばかりだ。

でも、この日記では少し正直な私が出てしまうのをお許しいただきたい。
また一人、取り残されてしまった。
私だけ、子供ができなかった。
そう思ってしまう自分がいる。
友人の妊娠を寿ぐ大人の自分と、少し離れた場所でうつむいて涙ぐむ子供の私。

でも、大人の私は子供の私を慰める。

きっと友人は私に電話するのが勇気が要ったと思う。
逆の立場だったら、なんて言おうかとかどんな風な反応されるかな…とか
すごい緊張したに違いない。
弟夫婦の妊娠が発覚してショックを受けていた時にはこんな風に話してくれた。
「でも、もし、あなたが妊娠できたらすごくうれしいと思う」
私を思いやってくれたその友人の妊娠を喜べないはずがない。
子供がいるとかいないとか関係なく、彼女とは仲良くしていけると思いたい。

私はもう「負けず嫌いの子供」ではなく、「今の自分を謳歌する大人」だ。
友人に、心からの祝福を。

>>>>>
拍手コメントへの返信
9月19日にコメントをくださったかえで様
ご無沙汰しております。同僚の方のご病気、それはショックですね。
決して他人事ではありませんし、セカンドオピニオンが重要だと実感させられますね…。
私も子供を授かれなかったことについては
「こういう運命だったのだ」とか「そういう人生なのだ」とか思ったりします。
お互い、これからより楽しい運命に導かれるといいですね!

拍手[9回]

PR

久しぶりの更新。
私は元気です。

小さな浮き沈みはあったりすものの楽しい毎日を過ごしている。

今日はちょうどまた知り合いの出産報告を聞いた。
一歳年上の人で、結婚は去年したばかりだったかと思う。
ちょっと乱暴な言い方ではあるが、あまり女性っぽい方ではなく
むしろ少年のような女性で、縁遠そうなイメージを勝手に持っていたので
今回、女の子を出産されたということでかなり意外でびっくりした。
そう思うと、本当に赤ちゃんは授かりものだなぁ…としみじみ。

そう言えば、前回の日記で友人が手術するという話を書いたが、
結局、友人のお見舞いに行ってきた。
卵巣に腫瘍ができたとのことだった。
通常、卵巣に腫瘍ができると、腫瘍だけを摘出するということはなく
卵巣自体を摘出するらしい。
友人は独身であったので、二つあるうちの一つは残すことはできたとのこと。
そして、卵巣の腫瘍はかなりの確率で悪性であることが高いそうなのだが、
幸いにして友人は良性だったそうである。
悪性だった場合にはおなかの傷もかなり大きくなっていたかもしれないとのことで
冗談交じりで笑って話せるのも良性ゆえである。
私は私で、彼女に自分の近況として中等度異形成の話をした。
彼女のまた別の友人は最近乳房にシコリが見つかったとの話も聞いた。
結論としては
「女30代、色々ある。検診にいくべし」
であった。

友人が入院していたところには病室こそは別だが、産科の患者さんもいらっしゃった。
病室に行くためにエレベーターを降りた所、
真正面に大きなおなかの妊婦さんがいたのがちょっとびっくりした。
しかし、友人曰く
「ここは大学病院だから、結構深刻な感じの妊婦さんが多い」
とのこと。
つい最近には超未熟児も生まれたと聞いたそうだ。

妊娠出産していなくても、何が起こるかわからない身体に、
妊娠しても無事に出産することが大変な身体。
生きていくのは大変である…。
また来月には自分の子宮の経過を診てもらう訳で、
引き続き、悪化したりしていなくて、現状維持できますように…。

ほんと、妊娠出産以前の問題になってきた…。

>>>>>
8月17日にコメントをくださったみみいぬ様
返信が大変遅くなりまして申し訳ありません。
私も、日々、色々と考えます。
考えて考えて考えすぎると頭が沸騰してしまうので
そう言った整理をするためにこちらのブログがあるような感じですので
お付き合いいただけると嬉しいです。一緒に考えて参りましょう。

拍手[3回]

今日は婦人科へ。
子宮頚部の異変についての続きだ。
少し前にコルポスコピーで細胞を取って、その検査結果を聞いてきた。
結論から言うと、経過観察、である。

正常な子宮頚部と、異常つまりは癌である子宮頚部の真ん中の「異形成」という状態で
なおかつ、その「異形成」の中でも、軽度・中等度・重度の3段階に分けられるのだが、
私はその「中等度」である。
真ん中も真ん中。
いや、重度じゃなくてよかったんだけどね…。
重度の場合はすぐに治療という方針になるのだけれど、
中等度の私はまた数カ月後に細胞診ということになった。
あぁ、真綿で首を絞められる日々…。

そんなこんなで体の変化を身に沁みて感じる毎日であるが、
高校時代からの友人にも、何らかの変化が訪れている様子。
今月、入院するという。
他の友人たちのグループLINEで「今度いつ遊ぶ?」的な流れの中突然に
入院することを知らされて寝耳に水。
SNS上では元気に夏休みを満喫していたようだったので
健康上の不安はまったく感じさせていなかった。

まぁ…私もSNSには中等度異形成のことなんか書かないけど…。

グループLINEとは別にちょっと聞いてみたら
手術をした結果、どうなるか詳細がわかるというので
何らかの腫瘍を取り除いて検査に回すとかそういうのなのかなぁ…と漠然と思った。
状況によってお見舞いに行きたいと思ったが、
「落ち着いたら連絡するねー」と言われ、沈黙するしかなかった。
本人が望んでいないのにゴリゴリとお見舞いに行くことはできないし致し方ない。
こういう時どうしたらいいのか、幸いにしてあまり経験がないので戸惑う。
リクエストがあった時には馳せ参じたいと思うけど、
今は、詳しいことは何だかわからないけど無事に手術が終わり、
大した病状でないことを遠くから静かに祈る事しかできない。

友人から病気を告白される位なら妊娠報告とかのが数億倍いいよ…。
きれいごとでもなんでもなく、ほんとに。
自分の健康、家族の健康は当然だが、
自分を支えてくれたり励ましてくれたりする友人たちの健康も尊い。
つくづく思った。

>>>>>

拍手コメントお礼

8月2日にコメントをくださったyms様
共感していただけると私自身も救われます。ありがとうございます。
子供がほしかったという気持ちは一生消えない、確かにそうなると思います。
その思いが元で最終的には「子供好きな近所のおばあちゃん」になって
ニコニコした人生を送れたらいいなぁと思います。
お互い道なかば、のんびり参りましょう。

拍手[6回]

友人・知人の妊娠出産報告には敏感な不妊治療経験者ではあるが
寝返りをうった、ハイハイをした、立った、1歳になった、2歳になった、3歳になった…と
SNSに幸せそうな写真がアップされるたびに

「お…おう…」

とごくごくわずかながらもモヤり感を抱くのも不妊治療経験者の常なのだろうか?
私はやっぱりちょっとモヤってしまう人間。
不妊治療経験者の一般的感覚かどうかわからないが、同じような方はいらっしゃるのだろうか。

「妊娠したよ」「生まれたよ」ということだけではなく
「子供の成長を喜ぶ日々」というものにも憧憬の念を抱かずにはいられないのだろう。
以前、小学生とか中学生にまでなった友人の子供に対しては
「羨ましい」という感情はあまり湧き上がって来なかったのだが、
10年後くらいに「もしあの時、私も妊娠できていればこのくらいの年なのか…」と
ちょっと心の奥底がきゅっとするということがあるのかもしれないと思い始めた。
「友人の子供」というものは自分の心にほんの少しのさざ波を起こす存在だ。
なんか、この後の人生で大きな業を背負ってしまった気分。
SNSをやっている以上は、致し方ないことなのだろう。

今、こうやって日記を書くことでモヤモヤを解消しようとしている訳だが、
なぜモヤモヤしているかというと恐らく生理前の精神不安定時期だからだろうと推察される。
SNS自体は、昔の友人たちとつながったり楽しい近況を報告しあったりすることが
「友人の子供」を見るモヤり感以上の楽しさがあるから続けているのであるが、
モヤモヤしがちな時期と、別に何も思わない(普通に「いいね」を押す位)時期があるのは
もう諦めの境地と言うか何というか、しかたないよね、と思うしかない。

なるべくなら他人をうらやましがったりしないで生きていきたい。
それを明日の自分が進む活力に変えていければいいのに。
まだまだ道なかば。

拍手[12回]

先日、義両親と話す機会があった。

義両親は、元々、さらにその母親、つまりは私たち世代から見たら祖母が存命のうちに
その祖母から援助してもらって、お墓をすでに買って持っている。
元々先祖代々の菩提寺は近所にあるのだが、その両親たちが持っている墓は
電車で30分くらいといったところか…。
まだ墓石は立ててないが、土地だけ持っている、という状態なのだった。

その墓について。

「元々墓は持ってたけど、お寺へ帰してしまおうかという話もしてるんだ」

と義父が言った。さらに

「樹木葬なんかもいいか、という話もしてて。散骨とかでも」

と言う。
余談だが、お寺から墓を買うときはお金を当然支払うが、
墓を返しても別段、返金という制度はないらしい。
お布施…ととらえるとすれば、そりゃそうなのかもしれないけど、
ふーん…坊主丸儲けだな…と品なく思った次第。

それはさておき。

義両親たちがお墓を返そうと思ったのには、私たち夫婦のことを思っての事。

「君たちに子供がいれば、後に遺そうと思うのだけれども
 今の所、そういう状態ではないし、やはり墓守というのは大変だからね。
 お金もかかるし、なるべく負担にならないようにしておきたいから」

というのである。
義両親たちは私に一度として「孫の顔が見たい」とストレートに言ったことはないが
「子供がいれば…」という仮定の話は、ときたま、出る。
だから、やっぱり心の底では「孫がいたらいいなぁ」位には思ってるんだろうな、と思う。
お墓の話にしても、当初の予定では、
祖母から援助してもらって買ったお墓に二人で入って、
それを私たち夫婦に任せて、さらにはその次の代にも…と考えていたのだろうけど、
予定は未定、なんだか、すいません…という気分。

あくまで、気分。

私は何も悪いことをしていないのだし、罪悪感を背負うことは全くないのだけれど。
それでもやっぱり、ちょっとは卑屈になってしまって
「孫を抱かせてあげられなくて、すんません」と思ったりはする。
義両親には不妊治療をしていたことは話していない。
当然、体外受精まで進んだ結果だめでした、諦めました、なんてこと知らない。
だから、いまだに「子供がいれば…」という仮の話は出てきてしまう訳だが、
それも含めて、「黙ってて、すんません」みたいにも思ったりする。
年齢的にまだ可能性のある年齢だから仮の話も出ちゃうんだろうから、
さすがにもっと年齢を重ねた暁にはその仮の話も出なくなるんだろう。

子供のいない人生は、自分たちだけではなく
その親たちの人生にまで少なからず影響を与えてしまうのだなぁ…としみじみ。
私自身が墓を必要とする時が来たら、墓守なんていないのだし、
ましてや樹木葬ですら参ってくれる人がいるかどうか怪しいし、
散骨…という道が無難かもしれない…ということまで考えさせられた出来事であった。

しかし、誰が撒くんだろう、私の骨…。

拍手[0回]

前のページ 次のページ
photo by 七ツ森  /  material by 素材のかけら
忍者ブログ [PR]
プロフィール
HN:
性別:
女性
自己紹介:
生年:1979年(昭和54年)
夫:4つ上
住居:東京都
忍者カウンター
ブログ村